討って候

                      

 

 

               

              

目の前の出来事が信じられなかった。へいつくばったお父うの首に、突如、刀が振り降ろされた。血が、蜥蜴の逃げ足のように畦を走った。生臭いにおいが鼻に来た。お父うは声も上げなかった。

 

やがて叡が見たのは、刀を収め、死体の疵口を覗き込む武家の顔だった。撥ね上がった眉。ぎょろりとしたふた重の目。鼻を寄せ、ひくひくと脈打つ斬り口を仔細に検めている。四郎左衛門は首の付け根から背中までいっきに、米俵のように無残に割かれていた。

武家の薄い唇から笑みが洩れた。角張った顔にうずうずと広がる、会心の笑いであった。

(憎い。――)

 田に浸かり、立ち尽くす叡は、手にする苗を握り締めた。妹の信は、凍りついたように四郎左衛門の泥まみれの足裏に目を張り付けていた。

――ピーッ、ヒョウ。

空を引っ裂くように、鳶が甲高い声を舞い上げた。

「新陰流の極意、とくと拝見した。抜き打ちで背まで割り通すなど、さすが田辺殿。いや感服仕った」

 殺人者に歩み寄り、連れの武家が言った。草履の下で、握り飯が踏み潰されてはみ出していた。路傍に置いた親娘の弁当だった。

「何の、二寸ばかり浅かった。近頃、刀を研ぎにだしておらぬ、武士として心得ねばならぬな」

 気障っぽく言い、田辺という武家は、目を細めてもう一度死体を眺め、そしてわざとらしく、襟足の肉が盛り上がるたっぷりと脂肪の乗った首をふってみせた。

「いやいや、眼福でござったよ」

 取成すように、もう一人が扇子でぴしゃぴしゃと掌を拍ちながら寄って行き、物売りのように田辺に媚びた。

持ち上げる二人を取り巻きに、田辺は口辺にぶの厚い笑いを浮かべ、畦を歩き出した。姉妹には目もくれず悠々と行くその仙台平に、豆粒ほどの泥はねが付いている。

――土百姓め、武士の着衣に泥を塗りよった。

ひと言の申し開きの間も与えられず、四郎左衛門は逝った。

 信が泥びたしの草鞋を脱ぎ、武家の袴裾をめがけ、投げつけようとした。

背中をくれて、あやうく叡は止めていた。

叡はわかっていた。自分たちが余りにも無力で、武家にとって蚊ほどでしかない存在なのを。

叡十一歳、信はわずか九歳でしかなかった。

 

仙台藩柴田領足立村在所で、姉妹は孤児となった。母は二年前、病没していた。肝煎り、五人組の差配で四郎左衛門が妻と同じ旦那寺に埋葬されたあとは、子供から年貢の取れぬ田地は村預けとなって、姉妹の身柄は村年寄の与右衛門に託された。

「お前方も不憫だし、四郎左衛門も無念じゃろう。お館に訴え出て筋の通った仕置きを叶えてやる」

 長い白髪眉を寄せ、与右衛門は姉妹に言った。姉妹は、その夜自ら訴状を書き上げると、翌早朝から細竹の杖を曳きつつ出かけていく与右衛門の姿を目撃した。そして数日のうちに、自分たちの引き取り手である七十翁が、五人組、三人の年寄り、最後に肝煎り宅を訪れ、村方一同の連署を取り集めたことを知った。

「片倉家剣術師範・田辺志摩」

 長屋門の脇部屋で、与右衛門が披いて見せた訴状には、四郎左衛門を斬った武家の名がはっきりと記されていた。墨痕の滴る書面を目の当りに、叡も信もこっくりと頷いていた。

あの日、田辺志摩は足立村川崎城館に招かれ、川崎家と隣郷曲竹村平沢城館高野家の、侍、徒士による剣術試合の審判として立合いに臨んでいた。試合後、饗応の用意が整えられた領内村田村の川崎家別邸まで、両家の侍に案内されていく道すがら、四ツ半どき、志摩は四郎左衛門の田を通りかかり、四郎左衛門を無礼討ちにした。与右衛門が読み聞かせる訴状で、姉妹は三人がそれぞれ他領の侍であり、田辺が仙台のお城の次に大きい、白石川の向こうで三層の櫓を聳えさせた白石城下の侍であることを知った。さらに、別邸の庭において、田辺が百姓を斬った場面を再現しようと、一刀で丸太を両断し抜刀術を披露して見せたことも知った。子供ごころにも叡には許し難い非道に思えた。委細は、与右衛門が村方を巡るうちに確かめられた事実である。

 与右衛門は肝煎を伴い、川崎館奉行役島田孫兵衛に訴状を提出した。

「四、五日でお調べの沙汰が下るじゃろう」

 詮議を心待ちに、叡と信は藍の栽培に日を過ごした。二人は与右衛門方の名子たちに立ち混じり、藍苗の植え換え、草取りや水遣りに汗をかいた。十日が経った。が、お館からは何の沙汰もなかった。与右衛門は叡と信に絣の仕着せを着せ、島田の屋敷に乗り込んだ。

「畏れながら、村中が痺れを切らせておりまする」

 与右衛門はずけりといった。そして、

「娘どもも不意の境遇に必死で耐えておりまする」

 と、重ねた。書院で対座する島田は、庭を向き、平伏する姉妹を一瞥した。熟視を避ける素振りに、奉行役のひけ目があった。

「詮議は済んだのじゃ。当家、高野家、双方の侍に質した結果、こたびの件はお構いなしと相成った」

「それよ、お構いなしとは。――」

「四郎左衛門に武士の対面を汚す重大な粗相があった。――無礼討ちはやむを得ぬということじゃ」

「何の意趣もない泥はね一つで、お武家方は面目を失うてでござりまするか。日頃、百姓は国のたからと仰せられても、袴のほうが値打ちが大きゅうてござるか」

「与右衛門、相手は片倉様で千石取りの大身じゃ」

「よって事を構えられぬと仰せか、はて、それはお館様のご存念でござろうか」

「左様、ただに刀を揮ったのではない、理屈は通るのだ。これ以上騒ぎ立てれば、両家の争いとなる」

「というより、当家は二千石、片倉家は一万八千石、貫目が開くわい。最初から口をつぐんでおく心算でござろうかい」

 島田は黙り込み、与右衛門は蹴るように座を立った。大名と変わらぬ石高の相手を怒らせ、機嫌を損じれば、川崎家二千石などはいつ僻地に所替の憂目に遇わされるか知れぬ。百姓よりも自家が大事、島田の意中は与右衛門が言い放ったとおりであった。

川崎家も片倉家も同じ仙台藩六十二万石伊達家家中とはいえ、知行地で「お館」あるいは「殿様」と呼ばれる彼ら重臣たちは、仙台藩においては知行地住人に対し一定の行政権や裁判権をもつ、他藩よりも際立って濃厚な領主的存在である。藩祖正宗以来、仙台藩では広大な領国支配を強固に維持するため、戦国時代以来の在地領主の城館がそのまま上級家臣に引き継がれて配置され、俗に四十八館制という、一国一城を原則とする徳川幕藩体制においては例外的な制度が治国の基盤となっていた。

そのことが他国には見られない、館主同士は、互いに知行所ごとに割拠する戦国領主であるかのような独自の緊張関係のなかにいた。

(二千石だらば、一万八千石にものは言えねのか)

 叡は悔しがった。自分たちのお館様が情けないとも思った。

「誰もあのお武家を懲らしめられねのが」

 与右衛門のあとに随いながら、信がいった。叡は返答できずに、唇を結び、村道に降る木漏れ日に目を落とした。

「お信、心配するな。お館が頼れぬなら、片倉様にじかに掛け合うたら良いのじゃ」

 与右衛門が立ち止まり、振り返っていった。両脚を開き、老躯を杖で支える睨み付けるような与右衛門の顔を仰いで、叡は奮い立つような気分が湧いてきた。

「与右衛門さま、おらたちも片倉様ち連れて行って使わせぇ、お父うが何も悪さをしてねのは、おらたちがこん目で見て一番よう知ってる」

「おう、お叡もお信も付いて来い。じじいとこどもの三人で談判じゃ」

 与右衛門はにこりともせず、相変わらず厳しい鷹のような目を据えて、姉妹にいった。

 

                  

                   

 

 与右衛門は老練であった。「越訴である」として、柴田郡の百姓の訴えが、刈田郡に本拠を置く片倉家に一蹴される事態を回避するため、白石城下に入ると、郡内肝煎役の説得からまず始めた。肝煎を前に、帯同した叡と信に四郎左衛門が斬殺された模様をありのまま語らせ、

「土地の働き者が虫けら同然に殺られたのじゃ、放って置けるか。百姓を守るのが、われ等村役人のつとめじゃろがい」

 刈田の肝煎に、同調して訴えに連署せよと迫った。恫喝同然のその語気で、叡も信も与右衛門がなぜこれほどまでに自分たちに肩入れしてくれるかを知った。与右衛門は百姓の守護に命をかけている、とふたりは思った。それでも、相手の肝煎は渋った。

「よそ村のことに連合するなど、まかり間違えば一揆と見なされて追放か牢屋送り、あいや、悪くいけば打ち首であるまいか」

「なんじゃ臆しよって。わ主がそう出るなら、畏れながら、と白石の代官所に訴え出るが」

「うっ」

「それでも良いか。――」

 代官所に持ちこまれたら、郡奉行を経て忽ち藩主陸奥守伊達吉村に達する。そうなればひとり片倉家の仕置きでは済まされず、事件当日連れ立っていた侍の主家も合わせて、川崎家、高野家と三家にまたがる仙台南部の政治問題に発展する。自家で何らかの処分を下すほうが、片倉家にとって余程得策であった。出来るだけ穏便に事を運ぶのが、封建時代のものの考え方であった。そして、そこは領主と百姓のあいだに立つ村役人である、

「わかった。しかし、連判はしまいぞ、内々にご家老に取り次ぐだけじゃ、それで我慢せい。――」

 と態度を変えた。与右衛門には肝煎の肚は読めている。

 代官所に持ち込まれる、と耳打ちすれば、片倉家の家老も会わざるを得ぬであろうし、その注進が肝煎にとっても多少の点稼ぎになって、与右衛門のために労を取るのがむしろ利口な立ち回りであった。

「ええじゃろう」

 最初から連判は期待していない。肝煎の仲介さえ叶えば、与右衛門は満足であった。与右衛門自身また、いま代官所に訴え出れば、不問にしてしまった自領の領主がどのような窮地に追いやられるかわからないという、村役人としての配慮も働いて、そこまでの強攻策は控えたかった。この一種甘い手加減がのちの臍を噛む思いの結果を導くのだが。

 片倉家家老堀田頼母は、温容な人物であった。与右衛門も、叡も信も庭先に膝を折らされたが、堀田は三人の話に大きな耳たぶを凝っと傾けた。談終わると、姉妹にむかい、「侍とは身勝手なものじゃな、許せ」と、涙まで滲ませた。最後は「殿に言上して、公平な処置を願おう」と確約した。与右衛門と姉妹は、晴れやかに家老屋敷を退出した。

 ときに白石城下は、藩主・伊達吉村の参着をひかえ、溢れるような賑わいを呈していた。この日、江戸参勤発向の途上にある藩主が、定例として途中白石城内へと休息に立ち寄る吉礼日であった。沿道には出迎えの片倉家家臣が居並んで、田町から本町通りの町屋の軒下にはお店者から女房、こども、僧侶、振り売り、蔵王権現参りの修験者、伝馬人足まで群がって、城下には祭礼に増す人出が詰めかけていた。ひとまずの収穫を得て、与右衛門は二人の連れを旅籠の軒先に伴い、そぞろ興奮が昂まる見物の一団に投じた。

 やがて撥鬢の鑓持ち奴を供先に、薙刀、立傘、牽き馬、伊達家の九曜紋を朱で打った挟み箱、長羽織を肩衣仕立てに袖を抜いた供廻り、と次々に、諸国から『伊達ぶり』と嘆賞される美々しい行列が繰り出されてきた。最後尾まで、ゆうに三千人は越えるという、奥州伊達家六十二万石の華やかさである。

 漣立つようなざわめきが起り、愈々その人物の乗り物が現れた。前後十人の担ぐ惣網代、溜塗りの大名駕籠に乗り、藩主は御簾を巻き上げて、その秀麗な顔を衆目に晒していた。

伊達吉村。――享保三年(一七一八)のこの年、三十八歳。詩歌、書画の文事にすぐれる一方、藩の財政改革を推し進め、英主の呼び声が高い。与右衛門の杖の横、長面の毅然とした容貌に接して叡は震えるような感激をどうしようもなかった。あたりの興奮にも呑まれ、いっとき自分が何のために此処に来たかも忘れ去った。思いの外の感情だった。が、百姓の娘であるわが身が藩主を目近に、ただ有り難い思いが充ちた。

「あん人に訴え出れゃええ」

 信が不意にいった。叡はゆっくりと妹を顧みた。信は通り過ぎていく駕籠にひたすら見入っていた。思わず洩れた独り言であろう。

(そだ、そに違いね。あん人なら、きっと正しいお裁きを着けて下さる)

叡は思った。胸底に刻まれた清潔な藩主の風姿が、叡に覚えず知れず、理非・善悪をのみ分け定める公明正大の裁断を観望させていた。が、相手があまりに遠い雲の上の存在で、自分たちの問題をその人に結びつけるなどは、どうにも夢物語のような気もした。

「じかに談判が適えばの。そうなれば話しは別じゃわい。だが直訴はご法度でな、お武家方には大それた罪に映るのよ、一揆と同じのな」

 信の声に応え、行列を眺めながら与右衛門も独り言のようにつぶやいた。

(やっぱ百姓にゃ口のきげねぇ相手だ)

 叡はさして落胆もしない。よくはわからなかったが、そこにはある明瞭な意志が働いていて、大抵、越えられない垣根が築かれているのだろうと理解していた。叡には権力の仕組みというものが、朧げながら判っていた。

「あのさむらい。――」

と、信が小さく叫んだときばかりは、叡は妹の口を咄嗟に塞いでいた。あの田辺志摩が、騎乗の士として行列の脇を固めていた。出迎えの人数として随っているのであろう、肩衣をまとい、胸を張り、尊大なほど顎を上向きに反らして肥馬にゆられていた。

田辺との距離が次第に縮まった。軋みを立て、憎悪が歯車のごとく回りだした。無意識に叡は大胆な振舞いに及んでいた。信の口を塞いでいた手を外し、人差し指を伸ばし、射るような目を据えてまっすぐに田辺に突き出した。

馬上、田辺は叡を捉えた。むっと口をへの字に曲げ、あきらかに怒気を催していた。田辺は睨み付け、叡は頑固にみつめ続け、両者の間に火花が散った。

「よしよし、もう良え。ただでは置かぬからの」と、与右衛門はそっと叡の腕を取り、杖の上に導いた。一瞬手綱を曳いて、その場に馬を止める気勢を示した田辺だが、朱走った顔をそむけ、かつかつとひずめの音をあとに、行き過ぎた。

 

在所に戻った与右衛門に、白石代官所からの召し出しがあった。六尺棒を引きずって小者が現れ、表玄関の土間で高々と告げた。中身はなく、――明日、四郎左衛門娘どもを同道しまかり出よ、という。

(聞こえたか、ついに)

 与右衛門の方針から大きくずれた。在所から隣郷、白石城下、とほうぼう騒ぎまわるうち、四郎左衛門横死の一件は、自然代官所の知るところとなったようである。代官所には訴えず、領地間の政治問題にしないという、村役人としての配慮は無駄になったようである。が、与右衛門はそれでも良いとおもった。それにしても、白石から帰って早々、あす出頭せよというのは役所に似ぬ、いやに早手回しだが、代官所が乗り出すならば、それはそれで結構である。吟味はまず、姉妹への「聞き出し」から始まるのであろう。与右衛門は翌日、叡と信に弁当を持たせて伴い、まだ暗い村道をたどって代官所に出頭した。

しかし、白洲に平伏させられて、意外にも代官の口からは、お調べではなく、申し渡しの沙汰があった。

――田辺志摩の無礼討ちは、武士の作法どおり。よって、構いなし。これ以上の訴えに及ぶは曲事たるべし。

(ちっ、何のことじゃい)

 与右衛門はしてやられた、と思った。あの片倉家家老堀田頼母に、である。

堀田は先手を打って代官所に届け出たのであろう。、最初から腰が引けて不問にした川崎家、あるいは高野家からも、証人である供侍二人の「無礼討ちに相違なし」という証言を裏打ちに、書付でも取って代官所に提出したにちがいなかった。もともと武家側に公平に裁く気がなければ「お構いなし」にできる事件である。事を葬り去ろうとした堀田の画策に、代官所がうまうま乗せられてしまったと見る他なかった。

さらに勘繰れば、この素早い申し達しは、片倉家一万八千石から、代官所の役人にたっぷりな鼻薬が渡った証左であるとも取れた。

(あの大黒顔に裏を書かれた)

 与右衛門は訴える先を失い、行動を封じられた。叡も信も白洲に額ずきながら、この目まぐるしい変転に茫然とした。が、代官所の門を出たときは、この白石の代官も含め、いままで平伏してきた武士の面々ことごとくに、怒りが湧いていた。

 帰宅し、門をくぐった途端、与右衛門に異変が起きた。庭を踏むや、がくりと片膝を落とし、よろめきながら、杖を放って、その場にドウと横倒しに倒れこんだ。自力で起き上がれず、小作人たちに母屋に担ぎ込まれたその夜から、与右衛門は病床の人となった。惣領の嫁が老父の看病にあたったが、叡と信も与右衛門の枕もとに付き、粥を与え、しもの世話をした。

「動けるようになったら仙台行きじゃ。本藩のご家老がええか、いや、ご藩主に直訴じゃ」

 目を覚まし、姉妹を認めると、ときどきうわごとのように与右衛門はつぶやいた。

「あおらぁ、与右衛門さま、わしらがことは忘れずまって養生してけろ」

「――お叡か。ああ良うなる、じき良うなる」

 あれほど矍鑠としていた人物が、虚ろに枕においた首を捻り、潤んだ目を向けて言う。

「はえぐ杖さついて歩けるよう、良ぐなって」

「お信、小っこい奴め、じきに出発でけるからな。驚けやおぼこ、大きいぞ仙台のお城下は、必ず連れて行ってやるっ……うっ、……」

 咳き込む与右衛門に、姉妹は飛びつく様にして擦り寄り、胸をさすり、手足を揉んだ。

 叡と信は昼間は藍田の仕事に出、夕方からは付ききりで与右衛門を看た。さすると、棒に触れるような感触が返ってきた。残月が消えて行くように与右衛門の命数が、すでに尽きつつあることが肌身に伝わった。

 

「お父うのことは、どうなるだ」

 藍田を帰る道すがら、菅笠の下で、見上げて信がいった。姉妹はならんで土橋を渡りかけていた。足もとに湧く瀬音が、当惑する信の声をさらっていく。

「もう誰もお裁きは着げてくんさらね。姉ちゃは仙台さ、いぐ」

「仙台のお殿様に直訴すっかや」

「いんや、そんだらことはでぎねい相談だなやって、まともな時に与右衛門さまも言うてござりす。仙台さ行って、お殿様の剣術のお師匠を探す。白石の田辺より偉いっぺ」

「探して、どねす」

「奉公に上がる。ほで、剣術の稽古さ始める」

「――仇さ、討づか。おらもいぐ」

「いげね。お信はこごに残れ」

「やんだ、姉ちゃと一緒にかたきうづ。置いてぐなら、おら宿場の飯盛りおなごになる」

「まだこどもでないけ」

「こどもの飯盛りになる。父ちゃの田んぼは十四になるまで戻してくんさらね。与右衛門様がいなぐなったら、五年もここに置いてくれね。ひとりになれば、身売りするしかね」

 叡の歩みが止まってしまった。振り向くと、信は土橋のたもとでぽつねんと立ち止まっていた。叡は妹をみつめた。小さくて、細いからだだった。

「お信、死んでもええべが」

「いがす」

 黙りこくり、向き合う二人の耳に、轟々と、瀬音だけが音高く流れ込んだ。

夜、「ちょっとばし、聞いてございん」と病人の枕辺ににじり寄って、叡は与右衛門に仙台行きの決意を打ち明けた。看護の嫁は表の間に退いて、部屋にはほかに信しかいない。

まどろみから覚めたばかりの与右衛門は、板のように厚みの失せてしまったからだを横たえ、わずかに瞬きするだけで、相槌も打たず、聞こえているのかさえわからない。信は固い表情で隅に控えていた。

叡はたどたどしいが、藩公の剣術師範に下女奉公をしつつ、剣術を見習い、いずれは田辺と果たし合う覚悟であることを、包まず告げた。

「殺されても信と二人でお父うの仇を討ちてす」と結ぶと、与右衛門はかすかに喉の奥を鳴らし、再び眠りに落ちた。

二日後、姉妹が野良仕事から戻ると、すでに与右衛門は息を引き取っていた。面上に白布の掛けられた与右衛門を、家族、親戚、村役達がぐるりと囲んで、姉妹が座敷に上がることは遠慮された。僧侶の枕読経が終わり、棺に仏のからだが納められる段になって、二人は初めて与右衛門の側に寄った。抱きついて号泣しそうな衝動を姉妹は辛うじて堪えた。

短い別れを終え、土間に引き取ろうとすると、病人の世話を終えた嫁から呼び止められた。そして、夜具の間に挟まっていたという、一通の書付を見せられた。与右衛門から村の肝煎に宛てた、叡と信二人のための「奉公願い」らしかった。紙には、最後の力を振り絞ったような、喘ぐようなかすれた文字がならんでいた。だが、そこに記されていた、

「陸奥守様剣術師範 瀧本伝八郎殿」

という名前だけは、叡の目に鮮やかに飛び込んだ。与右衛門の気概はなお衰えていなかった。叡はあまりの恩沢に息を呑み、渾身の置き土産にただうたれた。

 

                  

 

そこは物置小屋と棟を割った、八坪ばかりの殺風景な溜り屋だが、郷里では馬小屋のような茅屋で、親子四人抱き合うようにして暮してきた姉妹である。

「おらだちの部屋だと、信」

「ここだら、棒っきれ振り回してもあだらね」

 瀧本屋敷の小者に案内され、それぞれ風呂敷包み一つだけの荷物をおろすと、あてがわれた下女部屋に無邪気に興奮した。框に腰かけ、連子窓を穿った板敷部屋を見回している。

姉妹の奉公は、与右衛門の書付が足立村の肝煎に渡り、肝煎から仙台城下肴町の木綿問屋足立屋喜平に取り次がれて、折から台所の婢女を求めていた瀧本屋敷との間で、五年の年季奉公が成立して、叶った。

希望どおりの奉公を喜んだ叡と信だが、屋敷のあるじは、最初首をひねったという。下女は一人で良かったのである。しかし、足立屋喜平が肝煎から聞いていた、

「ふた親も親類もなく、是非とも二人でいたい、その代わり三人分働く」

という、多分に素朴な姉妹の達ての申し分を話すと、旦那様は渋々承諾したという。

「んだがら言葉どおり、励めっちゃ」

と、姉妹を送り届けた喜平は言い置いて、城下大町にあるこの瀧本屋敷をあとにした。

実際は、あのとき庭で型稽古をしていた旦那様の瀧本伝八郎は、虚空を薙いでいた木刀を止め、

――ふっふっ、大層な結束じゃ。良かろう、二人とも参れ。

と淡白に応じたのだが、何事にも利を稼ごうとする足立屋は、話を塗り替え、事実を尖った景色に仕立てて言った。

「姉ちゃ、うんとこさ働いて、剣術さ稽古できるかや」

「夜中、仕事の要らねっとき、したらばえでねか」

 下女には成れても、束脩の払えない姉妹が当家の門弟にはなれない。まして百姓の娘風情が、藩公の剣術指南役である瀧本伝八郎をつかまえ、師と呼ぶなどは恐れ入った越階ざたであろうと、姉妹はもとより師弟の関係を結べるとは夢にも思っていない。

「お信、聴いてなや」

 井戸を挟んで庭の東側にある道場から、撓え打ちの稽古の音が響いてくる。

「ここのお屋敷だらば、いつでも稽古は拝める。昼間はちろちろ覗いて、夜中にさらうべ」

「やるべな」

 小鼻をふくらませ、信がうなずいた。思ったとおり、屋敷は剣術の家であり、その上、中庭に長々と庇の影を落とす道場の大きさ、その八方から熾んに起こる気合、練塀をまとって大きく開かれた通用門は、姉妹が期待した以上の隆盛を物語っている。叡と信はこれで十分満足なのである。五年の年季が明ける頃には、そのぶん年も長け、田辺に立合いを挑めるまでに刀の振り方も身に付けていよう。

 翌日から、雨戸の開け閉てから台所の水仕事、家人や内弟子たちの洗濯物、邸内の掃除まで、一日中、二人は独楽鼠のように仕事に追われたが、

「おらが道場の床拭いてるどき、朝はやぐから一人で稽古おっぱじめるさむらいが来たさ」

 と言って、夜、叡はそのとき盗み見た侍の撓えの振りを信に示して見せた。叡が手にする得物は、撓えの代わりに、使い物にならなくなった竹箒の柄である。

部屋の真ん中に立って、叡は竹棒を中段に構え、それから、大きく振りかぶり、お面の位置、つまり連子窓の上枠の位置でぴたりと止めた。それを四、五回繰り返した。どの振りも同じ位置で止まった。カラリと竹棒を投げ出すと、

「お信、やって見れ」

 と満足した顔でいった。

「よし、やるだ。だども」

 と信が訝ったように、信が振ってみると、背が追いつかず、棒先を上枠の位置に持って行くと、天井から吊り下げられたような妙な構えになった。

「下の方でいっから」

 篭手にあたる高さだろうが、そんな用語はまだ自在には使えない。今度は信は素振りをまどの下側で止めて、何とか構えらしくなった。

姉妹の剣術修行はみなが寝に就く頃合い、そのようにして始まった。そして昼間のどんな機会も捉えて、夜稽古に備えようとした。

奉公に来て数日後、二人は井戸端にしゃがんで洗濯していた。黙々と桶に手を浸けて布をこすりながら、背中で響く道場の音に、凝っと耳を澄ましていた。時々起こる気合や、次いでドンと床板を踏み込む音が、竹箒を振る呼吸のようなものを教えてくれる。其処へ、

「済まぬが、水を汲んでくれぬか」

 刺し子の稽古着をつけた男が近づいて来て、言った。中年のその男は、何やら真剣な表情で黙りこくっている二人に可笑し味を感じるのか、口許がほのかに笑っている。

 叡はすぐさま立ち上がって、釣瓶を取った。井戸穴に落とし、しゃかしゃかと水を汲み上げると、信が柄杓を入れて一杯分を掬い、叡は残りを井戸端におろし、男の足もとに差し出した。相槌を打ち合うでもなく、二人はさっさとこれだけのことをやった。

「ほう、わしは水を求めたが、呑むか濯ぎに使うか分からぬゆえ、両方同時に出したか」

 その呼吸に、稽古着の男はいたく感心した模様であった。あからさま瞳を輝かせて言った。柄杓の水を呑み干すと、刺し子の固さも構わず袖で口を拭い、

「水もうまかったが、其の方たちの息の合いぶりのほうが馳走であったな。その調子じゃ。――お叡、お信、これからも仲良うやれ」

 そう言って道場に戻って行った。快活な猛者ぶりに似ず、どちらかと言えばこじんまりとした後ろ姿である。だが、足取りは落ち着いて、散策でも愉しんでいるような余裕があった。姉妹はきょとりとした顔で見送っていた。そして、叡が雀が落ち米でも啄ばんでいるようなその顔を信に向けた。

「けっ?」

「――んだなや」

 どうやらあれが屋敷のあるじ瀧本伝八郎であるようだった。遠目でも目近でも、主人を見たのはこれが初めてだった。初日、足立屋に付き添われ、屋敷うちを挨拶に引き回されたが、御目文字を得た一番のひとは奥方様であった。以来、元服を済ましたばかりのような若様、その姉の嬢様を廊下や庭で見かけることはあっても、主人にだけは召し出されることもなく、姉妹はさまざまに想像を巡らしていた。後日知ったが、この時期、あるじは千石から千二百石に加増されたお礼言上のため、お殿様のいる江戸へ出向いていたという。

「あいづが仙台一のお師匠だでや」

 あいつ呼ばわりはひどい聞こえようだが、ところの言葉で、あの人、という意味だ。

「姉ちゃ、あんまし、ごつぐね」

 想像では当然、田辺以上に貫禄のある剣客を描いていた。が、実物はどうも小柄で、丁度、足立村で通っていた寺子屋のお師匠が、垢抜けて、こざっぱりして出直してきたようであった。

「お信、がっくりしたけ?」

「いんや」

 二人、顔見合わして、くすくす笑っている。こどもの直感で、初お目見得のあるじに、安心し、嬉しがってもいた。外貌こそ予想に反したが、たったいまかけられた打ち解けた言葉や態度に、偽らない温かみと知恵ぶかさがあることを姉妹は敏感に覚っていた。

趣は違っても、もうひとり、与右衛門のような理解者が、自分たちの目の前に現れた気がしているのである。

その日以来、あるじが道場に出る時分を見計らっては、道場ぎわの廊下や庭をうろちょろ掃除しまわり、その稽古の模様を懸命にあたまにきざみつけようとした。ある晩、

「旦那様っちゃたまげる、こうもりみてえに飛んだ」

 叡は唾を飛ばして言った。さすがに、あるじ瀧本伝八郎の技には目を見張るものがあった。相手は六尺余りの大男である。上段から振りかぶってきた雪崩のような一撃を、床を蹴り、横っ飛びにかわすや、さらに跳躍し、ひらりとまるで舞い降りるようにして、大男の頭上にトンと見事な打ちを収めたのである。稽古袴を翻し相手に飛来したその姿は、叡の目には蝙蝠のように見えた。

「お信、旦那様みでぇに小っこくでも、えんだ。おらだちも田辺みでえ、大男さ打でる」

 だから信も飛んで、打って来い、と叡は要求している。この頃になると、二人共竹箒ではなく、物置で捨て置きにされていた袋撓えを手に稽古している。十分撓んでくれる二本の道具が見つかったおかげで、打ち合い稽古もできるようになった。ただ廃物同然の撓えは、袋革は擦り切れて、ところどころ破れ目があいていた。

 その破れ撓えが、飛び上がった信の勢いをつけて、叡の額を存分に打った。と同時、叡の撓えは妹の右手を力いっぱい打ち据えていた。互いに夜中のことで、気合は上げない。しかし面鉄のない悲しさである。叡の額が切れ、血が眉を這ってぽたぽたと床に落ちた。信は驚き、撓えを捨てて、姉に駆け寄った。

「心配ね、じき止まるっちゃ」

 汗拭いを額に当て、叡は言う。痛みがこみ上げているのは信にもわかる。

「おらやだ、姉ちゃをぶつなんでもうでぎね」

 撓えを投げ出し、信が泣き出した。そして床にへたって瞼を掻い撲った。泣いている信自身、その右腕を赤脹れさせている。

「強くならねと、お父うの仇は討てねど、お信」

 信の撓えを拾い、目の前に差し出し、叡はいった。信は、仇、のひと言に弾かれたように立ち上がった。そして、撓えを取り、黙って素振りを始めた。時々しゃくり上げ、涙を頬に伝わらせた。叡も素振りを始めた。この夜、打ち合い稽古はさすがに再開しなかった。

 

 叡の額の傷、青痣となった信の腕の脹れは、翌朝、井戸端にやって来たあるじ伝八郎の視程に、目敏くとまった。      

「はっは、相変わらず黙っている。足立屋が言うたか、奉公先では口は利いてはいかぬと」

 この日も二人は凝っと道場の音を耳底に収めていた。姉妹は揃って頭を振った。

考えてみれば、伝八郎は二人の声を聴いたことがなかったであろう。が、強いて喋らせようともせず、姉妹の汲んだ水を自身も黙って使った。その間二人の怪我に気づいたようで、姉妹の傷の箇所や顔を代わる代わる覗くと、やがて何かを合点したようにひとりうなずき、何も言わずに去った。

 その夜も手燭のあかりを土間に置くと、姉妹は掻い巻にくるんだ撓えを取り出し、稽古を始めた。最初にやる素振りは、毎日回数を増やし、もう二百回に増えた。五十、百と口の中で数えるうち、叡も信も頬があからみ、百五十を数える頃には二人の額に汗が浮いた。しょっぱいものが流れ込んで、叡の目が瞬いたそのとき、

「どうだ、わしも仲間に入れてくれぬか」

 すっと杉戸を引き、あるじが土間に入り込んできて、言った。

 

                四 

 

「いずれ理由あっての夜中の稽古であろう。さぞ期するところがあるのやもしれぬ。剣に志があるなら昼間稽古をつけてやりたいが、どうだ、聞かせてくれぬか」

 伝八郎は言いながら、さっさと板敷きに上がりこみ、ふわりと胡座に座り込んでいた。姉妹は、驚くことも忘れて、ただ頭をならべて平伏してしまっていた。

「放っては置けぬな。きょうお前たちの傷跡を見て、てっきり撓え打ちの跡だと思った」伝八郎は、床に転がるみすぼらしい撓えを眺め、

「年端のゆかぬ者が闇雲に稽古をして、傷ついてはつまらん。まして姉と妹じゃ、遺恨と

なるような始末になっては目もあてられぬ。それにな、せっかく励んでも、無手勝流では上達は無理かもしれぬ」

 親身な語りかけだが、上達できぬと聞いて、はっ、とふたり共に顔を上げた。

「旦那様、おらだちうまぐならねと、困るす」

「ああ。お叡は十一であったな、妹と二人して、なぜ困る」

 喉がへばりつくようで、叡は一瞬言葉に詰まったが、ごくりと固唾を呑み込んで、

「お父うの仇を討つと、お信と決めだのでござりす」

 腕をつっぱり、細い肩を厳らせ、強張った頬で叡は吐いた。

伝八郎は黒の小袖を着流している。光沢を放つその胸元が上って、深い溜息が洩れた。

「百姓の子が武士を討つ。わしもまた武士だ。それを憚り、ひそかに稽古していたのか」

 あるじの意外な言葉に、姉妹は最初意味がわからずぽかんとした。が、やがて納得し、揃って大きくかぶりを振った。自分たちも気づかなかった本心を、ずばり言い当てられたに違いなかった。百姓が武士を討とうなど、身の程も弁えぬ大それた企てに違いなかった。

 それにしても、あるじはなぜ相手が武士とまで知っていたのか。「どねして」と、叡が子供らしい率直さで尋ねると、これも意外だったが、「田辺志摩」という仇の名まで挙げ、

「片倉家の剣術師範は、貫目の軽いご仁らしい。其の方たちが遺恨とする一件、ほうぼうで言い散らしておるよ」

 と眉間に皺を刻み不愉快そうに話した。田辺は事件当日、宴席の庭で無礼討ちを再現して見せたような男である。以後も片倉領の内外を問わず、取り巻き連中の阿諛に乗っては、わざとらしく困惑し、渋々ながらという体で当の場面を語りつつ、斬撃の手ごたえまで織り込んで、一刀両断のわが腕の冴えを遺漏なく伝えた。それが、同じ剣術家である瀧本伝八郎の耳に入らぬはずもなく、知っていて当然といえば当然なのである。

「おまえたちの父御が、四郎左衛門という名の正直な働き者であったことも聞いているし、村方の訴えが詮議も名ばかりに沙汰止みとなったことも存じている」

 叡も信もあるじの言葉に驚きつつ、といって投じる語もなく、あどけなく口を開け、ただ目の前の人物のその明哲な澄み渡った顔をみつめていた。

 そのあと伝八郎は胡座を正座に更えて改まり、

「お叡、お信、おさない身でよくぞ覚悟した。理不尽な始末であったとわしも思っている」

 と、姉妹を交互に瞠め、その決意を讃え、賛意を表明した。さらに伝八郎は、

「こどものからだでは仇討ちには臨めぬ。五年辛抱し、血肉を育め。その間お前たちが容赦もない稽古を我慢できるなら、田辺を相手に立派に太刀を揮えるようにしてやろう」

 といった。叡は前途にぱっと日が射すような歓喜にくるまれた。この瞬間、伝八郎は事実上仇討ちの後見人を請合ったに均しい。無論、叡と信にとって望外の成り行きだ。

「お願げえ申し上げます。――」

 ふたり声を揃え、ぺたりと床に額を着けた。頭の上で清々しい声がした。

「ただ今から、お前たちはこの瀧本伝八郎の内弟子だ」

 

姉妹の境遇が一変した。内弟子となった翌日から母屋の一室を与えられ、下女ではなく侍の子女として待遇された。伝八郎は快速で、叡と信に代わる奉公人を時を措かず雇い入れ、姉妹の一日は道場の朝稽古で始まるのが常となった。門弟たちは、きのうまでの下女が道場の隅で見よう見まねに勝手に稽古を始めだして、最初、奇異な目を向けたが、二人の小さな体からは、苛烈、ともいえる熱気が迸っている。道場のそこだけ、常にあたりの面目が霞むような気魄がこもっているのである。背中を押されるように、門弟たちはいつか姉妹を相手に掛かり稽古の胸を貸し、面を打たせるようになっていた。

叡と信の稽古ぶりは余念のない、まったくあと振向かぬ励みかたであった。時折、元立ちとなって撓えを受けてやる伝八郎も、めきめきと上達していく姉妹に、

(五年もすれば、師範代さえつとまるか)

と舌を巻いた。

そんな無我夢中な稽古の一方で、姉妹は武家としての作法も教わった。伝八郎の妻女からは、普段の立居振舞から話し言葉、箸の上げ下ろしまで仕込まれ、叡十六歳、信十四歳となった五年のちには、若い門弟たちの平静さを奪うほど、凛とした乙女に成長していた。

五年の間、むろん背丈も伸びている。信は小柄な師匠伝八郎と変わらず、叡はそれよりまだ二寸ばかりも高い。すでに大人に届いたそのからだで、伸び伸びと道場で立ち回った。「お信、遠慮なくかかりなさい」

「参ります」

 早朝、ふたりだけの稽古ばかりは五年間変わらない。

きしきしと道場の床板を鳴らしながら、叡は中段に構えたまま後退し、信の踏み込む気を巧みに外している。

「間合いが遠い、臆病者。それでは撃てぬ」

「なんの、臆して逃げ回っているのはそっち」

 互いに罵声を浴びせあい、機を狙っている。二人だけのときは、言葉も激しい。

 双方、だっと駆け寄った。二、三度舞うようにぶつかり合った果てに、鍔ぜり合いとなり、うめくような押し合いとなった。が、信が押し勝って、叡の体を飛ばした。と見るや、すかさず信の剣先が叡の面を襲った。

「浅い、まだまだ」

面金はこの享保年間、まだ簡易な籐製である。袋撓えといえども、当たれば痺れるほどの打撃となる。が、信の打ちは頭上には届かず、面縁をかすった程度で、確かに浅い。

「見参――」

 信が再び面に撃ちこんだ。相手の鍔元を掬い上げ、辛くも払った叡の撓えが翻って、ビシッと信の胴を撃った。息もつかせぬ立合いであった。

「それまでっ――二人とも見事だ」

 いつのまに入ってきたのか、伝八郎が道場のはしに立っていた。姉妹は神棚を中央に左右に着座し、面を脱いで師匠に頭を下げた。髪だけは武家の娘らしい櫛笄とは無縁で、普段ももっぱら下げ髪を元結で締めている。面をつけての稽古に、それが便利である。

「神速軽易、流祖松林左馬之輔殿以来の願流の太刀筋、よくぞ身につけた」

 神棚を背に着座し、伝八郎はいった。左馬之輔より七十年、瀧本家の継承するその願流は、古流儀義経流としばしば比骨される。軽み、速さを信条に、神出鬼没の手を繰り出し、ひらりと跳躍するような躍動を重んじる。あるいは叡と信のような女子に、もっとも相応しい流儀だったかもしれなかった。

「近頃の噂じゃ、瀧本道場には二匹の鬼神が棲んでいる。門弟も迂闊には挑めぬ、とな」

 何やら若い娘への寓意めかしいが、娘だてらに激烈な稽古をする弟子がいるという評判は、城下でもちらほら取り沙汰されているし、瀧本道場に数百といる門弟中でも、いまや姉妹から勝ちを取れるほどの使い手は数えるほどでしかなくなっている。

 姉妹は生真面目な顔を見合わせていた。こういう疎通の計り具合は従前どおりであった。同様に、変わらぬ呼吸で意を決し、同時にうなずくと、叡が言上した。

「今年で入門から五年目、来月十七日は父四郎左衛門の命日に相成ります。かねての寸志、遂げさせて頂けましょうか」

「うむ。そうだな五年たった。ほんに早いものだな、あっという間だ。二人が井戸端でしかつめらしうしていた姿がきのうのようじゃ。――じつはな、こうして言い出されるのをわしは懼れておったのだ」

 伝八郎の姉妹への交情は、もはやわが娘同然のこまやかなものとなっている。

「じゃが、どうやら互いに避けられぬ時がきたようだ。良いであろう、藩公陸奥守様まで、仇討ちの事願い出て進ぜよう。しかし、その前に今夜、わしと立ち合いなさい。田辺志摩と渡り合えるかどうか、最後の検分である」

 蔀窓に花が揺れていた。庭の木蓮が幹を伸ばし、春風に清冽な白い花弁を戦がせていた。

 

仇討ちの相手、田辺志摩に耳打ちする者があった。

「仙台の瀧本殿が道場に、娘の内弟子がいる。鬼のような修行ぶりというが」

 とやにっぽい大黒顔でいったのは、片倉家家老堀田頼母である。

「存じませぬな。女の門弟ならうちにもおりまするが」

 堀田の屋敷に招かれ、田辺は差し向かいで昼酒を召ばれている。

「知らぬのか、四郎左衛門の娘ぞ」

 その名を聞いても、田辺は太い首をかしげている。堀田は呆れた色を浮かべた。

「いよいよ豪傑であられる。ほれ、五年前、貴殿が無礼討ちにした百姓四郎左衛門の娘たちよ。その姉妹が、まさかに仇討ちを企てておるかも知れぬと忠告しておるのよ」

「これは、これは。わが身をご按じいただいておるわけでござりますな、痛み入りまする。この志摩が小娘相手に剣を使うなどは、片腹痛き話でござるな。いや、いや、片じけない」

 堀田家を辞したときには、田辺は鼻歌で白石の馬子唄を口ずさんでいた。小者を従え、本町すじを満珊と歩いている。と、片袖に触れそうな一木を目にすると、そっと柄に手を添え、抜き打ちに斬って払った。白い花びらをつけ、木蓮の枝がどさりと地に落ちた。

恩着せがましい忠告が、小娘相手の勝負だったなどは、田辺には不快でしかなかった。

 

夜、庭で立ち合おう、といった師匠が真剣を差して現れた時には、叡も信も大きに困惑させられた。二人は指図に従って木刀を携え、防具もつけず、普段の稽古着に白袴のすがたで師匠の検分に臨んだ。庭には灯篭の一基に火が灯るばかりで、あたりは薄暗い。

「聞け、其の方たちはかえって太刀先が鈍るであろうゆえ木刀だ。だがわしを仇のつもりで存分に打ちかかれ。真剣を執った以上こなたは容赦せぬ、あるいは殺めるかも知れぬ」

 伝八郎はきらりと大刀を抜き、タッと欅の影に回りこんだ。木を盾に二人を引き受けようというのであろう。姉妹は頷きあい、まず信が、二抱えもあるその幹めがけて走り、くるりと向きを変えて背中を木に張りつけた。と、なんと、速くも攻勢に出た師匠の白刃が信の目前にあった。そのとき、ビュッと闇が唸り、叡の木刀が師匠の背後を猛然と襲った。二人の連携が図に当たったと思ったのもつかの間、最初の一撃は、師匠が体をわずかに前に進めて難なくかわされた。怯まず信が横薙ぎに払ったが、師匠の刀は、信の木刀を峰で掬うように撥ね返し、徐々に体を沈めたその構えのまま、半円を描くように叡に伸びた。

剣尖に誘導されるように、叡が幹を背に負うと、刀の鋩子が蒼白い光芒を放って迫り、ツイと叡の袴の結び目を突いた。ぞっと総毛立つような応酬であった。闇に白刃が一閃、二閃し、信も木に張り付いたまま切先を胸元に浴び、稽古着を裂かれて居竦んでしまっていた。叡に初めて恐怖が生まれた。姉妹は凍りつき、木偶のように手も足も出せなかった。

鞘音がし、伝八郎が無言のまま引き揚げた。欅の下で、叡は無念に目を閉じた。信は灯籠か植え込みかあらぬ一点を見詰ていた。やがて、二人は元の地言葉で、ささやきあった。

「お信、覚悟すべや。死ぬる稽古させねば、仇討ちはでぎね」

「うん、おらに斬りつけてけろ。抜き身に怖じ気ねよに」

 翌日から、叡と信は夜な夜な帯刀して屋敷を脱け出した。提灯のあかりを頼りに鷺森神社の石段を上っては、背後に控える木の根道に分け入って、信じ難い稽古に及んでいた。

 闇溜まりに提灯の火が移され、蝋燭が次々点ると、のしかかるように楠の古木が大手を広げ、巨杉の群れが蒼白く姉妹を取り巻いた。が、白の木綿襷を目隠しに、真剣を構えた信には、もはやあたりは見えない。

「一歩も怯むな、お信」

 叡が抜いた。信もだが叡の刀も刃こぼれがはなはだしい。一撃が躍り、霍ッと刃が合い、ふたりの切り返し稽古が始まった。十合、二十合と切り結び、火花が幾度も散った。疲れて叡の太刀ゆきが狂えば、受け太刀の信の手首が飛ぶか、額を割る。

時折森の野鳥が一斉に騒いだ。それさえ耳に届かぬ熱気のうち、代って叡が目隠しで視界を蔽い、信の打ち込む白刃を受けた。受ける都度、叡は「今度は死ぬ」と思った。だが、

「お信もっとかかって来っ」

 その都度、目隠しの下で叫んでいた。信も呼応した。

「姉ちゃ、死ぬか。おらも死ぬっ、おら怖かねっ」

 信も憑かれたように叫んでいた。互いに誤って相手を打ち殺せば、この場ですぐ自害して果てると決めていた。白刃の恐怖を逃れる場所など、寸毫もない稽古である。刀の斬撃を一方が負えば、片方は止めを差して、然る上に自身の喉を突く。そしてふたり地に這う樹根を枕に、血まみれの亡骸をならべ、野鳥の餌と啄ばまれて、事は終わる。

刃が鳴り続け、樹間に火のような気合が迸った。捨て身の姉妹の念によぎるのは、あの日あの時の光景のみである。

日盛りの畦に、燦ときらめいた刀。ものも言わず、泥のような死骸に成り果てたお父う――。

 

四郎左衛門の命日、叡と信は足立村の父母、そして与右衛門の墓前に詣でた。野花を供え、香を手向け、念願の墓参を終えて故郷を去り際、叡は密かに胸底に洩らしていた。

(自分も信も死んでも構わね。だども、必ず田辺を道ずれにすっで。――)

 過般、叡と信は伝八郎の居室に膝を折り、夜毎稽古に使っていた刀を差し出した。師匠は二本を、ともに軋々と鞘から捥ぐように抜いて、ぼろぼろの刃に驚き、たちまちいった。

「即刻、藩公の御前にまかり出、仇討ちのお許し頂戴しよう」

 刀の有様に苛烈な稽古の模様を悟り、一刻の猶予も許されぬと思ったのである。かくて、

――四月二十三日巳の刻、城下宮城野、冠川明神社前、宮の前にて、双方立合い勝負仰せ付けらる。

と仇討ちの許可が下された。

 

                 

 

宮城野に風が吹き渡っている。冠川に風浪が立ち、野生いの草がさざめいた。

白鉢巻の結び尾が背に翻り、白い裁着袴がはためいた。脚胖も手甲も小袖もすべて、叡と信は白で固めた死装束である。この日のために縫った。伝八郎の妻女があらまし仕立てたが、家族同然に暮らしてきた妻女には、忍び難い悲しみであった。出来上がると、涙をこぼした。姉妹は、もとより死出に発つ覚悟で誂製した。

叡十六歳、信一四歳。竹矢来が組まれた原に立ち、大刀と脇差を腰間に、姉妹は今日、生還を期待する甘さなど微塵も抱かず、年来の仇敵の到着を待っている。

「お信、どちらか一人になっても、田辺を討ち果たす。――約束忘るな」

「承知。そだども一人になっても、お父うも与右衛門さまも付いてる」

 信は柄巻きを握り締めにこりと笑った。矢来を潜り姉妹のたった一言交した会話である。

決闘の場所は、矢来の外を、長棒持って警固の士が固め、内は正面に九曜の定紋うった幔幕をめぐらして、藩主伊達吉村以下、明神社の鳥居を背後に覗かせて家中の歴々がずらりと居並ぶ晴れがましさである。

床几の列には、殿様にはるか離れ、師匠瀧本伝八郎がいた。扇子一本を手に、身に寸鉄も帯びていない。仇は、藩主の脇に着座する国家老片倉小十郎村休の剣術指南番である。藩主吉村が最も公平に衝るべき重臣の筋であり、仮令、陪臣であり、また唇も紅い年若いむすめと、名うての剣術家との果し合いといえども、いささかの贔屓も許さぬ国の仕置きを見せる必要があった。藩命は厳然と、双方助太刀無用、を通告した。伝八郎が脇差さえ帯びていないのは、石を呑むような辛い演出である。

が、そんな光景はもとより姉妹の眼中になかった。じりじりと仇の出現を待ち侘びている。もはや刻限に至り、押し寄せた衆目もシンと静まり返って、はためく幔幕の音だけが野を占めた。叡は田辺が現れるであろう西の柵はしをみつめ、信は不意を用心するように目だけを四方に配っている。二人共、柄に手を架け、その場を動かない。

ひたひたと地を蹴る乗馬の音がした。栗色の肥馬にまたがり、南宮の森からまっしぐらに疾走してくるのは、総髪の頭を伏せて、まぎれも無い田辺志摩である。姉妹同時に、刀の鐺が上がった。田辺は疾風のように矢来まで駆け寄せ、どうと馬を止めると、手綱をほうり、ひらりと鞍を飛び下りた。息も乱さず、裃をつけた肩は、小揺るぎもしなかった。

(あくの強い。――)

 と、その登場ぶりを思ったのは伝八郎ひとりではなかったでろう。

矢来を越えて入場するや、さすがに田辺は腕一本で千石を食んできた男である。裃のかもめを跳ね上げ、抜刀をかざして、即座に剣鬼の気性を剥き出しにした。怯まず、叡が刀を抜き放ち、電光のように駆け出していた。信も鯉口を切って走った。

柄先を左胸で掻い込むような、切尖をまっすぐ一文字に伸ばした構えの叡の突出である。殺到する突き以外、相手を倒す法はないと信じている。田辺は上段に振り被って、微動もしない。叡の網膜に田辺の二重に括れた顎が広がった。

「仇ッ。――」

 と、叡が飛び込んだときは、土壇場まで迎え撃つ気配の田辺が、急に体を退き、よこざまに叡の首筋に振り下ろしていた。が、初太刀を逸したと見た叡は、地面を蹴って転がり、田辺の切尖を辛うじて逃れていた。田辺にとって不幸は、沈みきった剣先を上げる間もなく、信の斬撃が左腕を襲ったことである。だが、さすがに田辺は玄人である。驚くべき芸当をやってのけた。咄嗟に左手を柄から離し、柄巻の真ん中で信の刃を受け止めていた。さらに信が襲ったときは、正眼から刀を旋回させ、無造作に信の刀を跳ねのけていた。

 田辺に隙がない。姉妹の二段攻撃は、何とか田辺の構えを崩して隙を突こうとするが、場数を踏んだ剣客は、きわどい間合いで自在に反応し、容易に姉妹に斬り込ませない。

姉妹がならび、三人ともに正眼で対峙したときこそ、田辺が攻勢に出る場面であった。田辺は左の腕で脇差、――といっても二尺はあろう業物らしい長剣を抜いた。姉妹の構える太刀はともに二尺四寸。田辺は上段で太刀と長脇差を交差させ、ずいと間合いを詰め、さらに進んで、位押しに姉妹を矢来に追い詰めていった。

(まずい)

 と、劣勢を顧みる暇もなく、叡が正眼のまま踏み込んだ。途端に田辺の長脇差が叡の頭上に降り掛かり、その間に掻っ攫うようにもう一方の刀が信の篭手を薙いだ。叡の白鉢巻にかすかな血が滲んだ。切尖がわずかに叡の額を掠っていた。信は右腕の手甲を肉が覘くほど斬られ、やがて脚もとにぽたぽたと血を滴らせた。

 入れ替わって、田辺は矢来を背にしていた。大刀は下段、脇差は正眼に構え、薄笑いを浮かべているような余裕の顔つきである。二対一の対決で、有利な位置に立っている。叡と信は、目顔を見交わし、機敏に決戦の原の中央に退いた。

「信、使えっか」

 叡は、目だけはゆっくりと草を踏んでやってくる田辺に付け、妹の出血を気遣った。

「使える。痛くもね」

 しかし、信の白い手甲はすでに真紅に濡れそぼっている。いまにも妹が草はらに倒れこむような、その気がかりが叡を要らざる口舌に駆り立てたのであろう。

「もうちょっとの辛抱ッちゃ、あいづを成敗したらば楽になれる」

「心配要らね。おら、あいづを斬りたくってたまんね」

 死は覚悟の上である。叡の気休めを退け、信は物狂いな闘志で酬いた。

「姉ちゃ、あいづのうしろを狙ってけろ、おら、いぐっ」

 信は駆け、田辺の正面、真っ向から躍り込んだ。ビーンと初太刀を弾かれ、片方の刀が信の胴を断つと思われた瞬間、田辺は大きくのけぞった。叡の突きが裃の腰板を貫いていた。が、信に追い縋ろうと、泳ぐように入れた突きは、埋もれた切尖一寸あまり、致命傷ではない。一旦崩れた田辺の上体はすぐ立ち直り、からだを斜めに左右に刀を構え、前後の敵に備えた。と、信のわき腹のあたりが見る見る血に染まっていく。胴を払った田辺の一刀は際どく信に届いていた。田辺が仔馬のように躍動していた敵の血を眺めたその時、

 ――ガッ、

 と叡の一撃が田辺の肩を襲った。刃は骨にあたって跳ねかえったが、田辺の左手には落雷にうたれたような激震がはしり、五本の指が解け、長脇差を草はらに取り落とした。田辺の紋付の肩が裂け、裂け目から血がどろりと伝った。信は見届けるや、血ぶるいしたように斬り込み、敵の高股に一刀を浴びせたが、必死の足がらを喰らって、仰向けに突き転ばされた。間髪入れず田辺の右手の太刀が上段から振りおろされようとした、まさに刹那、

「背中ッ――」と叡が一声をあげた。田辺の太刀が宙に止まり、首を捻って叡を振向いた。敵を引き受け、叡は身構えた。が、田辺は挑まず、後ろ足のまま後退した。

遠く朱に聳える明神社の鳥居を挟むように、中央五間の間合いで、対決は睨み合いとなった。大きく息を吐きながら、田辺は左手から肩の血を滴らせ、正眼を取っている。叡は額の傷で鉢巻を染め、正眼に構えたまま喘いでいた。立ち上がった信も、右腕と腹部からの出血で血まみれになりながら、これも激しい息遣いである。風上に立つ田辺の血の匂いが、叡の嗅覚に鋭敏に忍び込んだ。すでに日ざしが眩くなっていた。一瞬間で事は決しなかった。互いの血のにおいを嗅ぎ合うような成り行きに、叡は茫然とした。そして、

(きょう、妹と自分は死ぬのだ)

 とあらためて思った。

 

傍らで信の粗い息遣いがする。叡もまた鞴のような呼吸で肩を上下させながら、次第に、

(妹を死なせるのか)

地団太踏むような怒りが噴き上げてきた。自分が引きずり込んだ復讐の修羅界であった。今日こそ怨念の一切から解放して、信に新しい出発を迎えさせてやらねばならない。

胸に湧く答えは一つ。自分が敵を即刻討ち果たす以外、信を生かす法などなかった。

蝶の羽休めのごとく、叡の気息は瞬く間に充実した。横には白装を血塗らされた信がいる。裂帛の気合が、再び叡のからだを駆け巡った。

 諸手をかざし、叡は我が胸払えとばかりの大上段に構えた。そして、草を踏み拉き、遮二無二間合いを詰めた。田辺の剣先が徐々に上がっている。

「死ねっ」

 と叡が振り下ろしたときは、田辺の油断ない受けで、物打ちを鍔元に吸い込まれていた。

鍔迫り合いの、恐るべき田辺の膂力が叡に降り懸った。相手は上背がある上に、全体重をかけ、女の叡が持ち堪えられるものではない。「あぁー」と、絶望的な叫びと共に、叡は目を疑うような捨て身に出た。両手を解き、刀を放した。と、田辺の刀が叡の肩先から二の腕にかけての袖を削ぎ落とすと同時、叡のからだは田辺の脚もとに転げ込んでいた。執拗にさらに肉迫する田辺の切尖を、叡は転がり転がり、軸を逸した矢車のように避けた。     

が、叡に三刀目を浴びせる暇もなく、田辺は信との応戦にかからねばならなかった。信は腕と腹部の負傷で全身壮絶な血模様をまといつつ、田辺の袴腰あたりへ体ごと突き入れた。が、田辺の太刀は素早く旋回して、あわや信の頭の皿を薙ぎ払うところ、寸での事に上体を沈めて空転させた。と、信の剣先は上りきり、刃先を届かせるに至らない。しかし、折り返し扇返しに転じた太刀を、信は鎬でもってこすり上げるように撥ねて、見事に一蹴した。積年の修練が実ったというほかない反射的な冴えだが、直後には、信は息も絶え絶えに、構えも叶わず、本意なく刀身を動揺させていた。

叡が起き上がっている。血塗れた肩袖を垂らし、負傷した二の腕を露わにしながらも、正眼に刀を堅持している。敵の切尖を躱して転げ回りつつも、叡は得物を求め、田辺の左手から脱した脇差を危うく手にしていた。一方で田辺と対した信の構えが、撞木を持しているように硬張っていた。が、田辺は勝負を決せられない。背後の叡の気配に、信を捨て、ずるずるとまたも後退して防備の姿勢をとった。そして、立ち止まったその一瞬、くらりと足もとを萎えさせた。構え直した動作も、爪先が没し、剣客らしい弾力性を失っていた。

いまや田辺もようやく疲労の極に達していた。奔放な敵の攻撃に加え、肩や股の深傷による出血は、やっと立っているほどに田辺を衰弱させている模様であった。再度の後退は、強ち前後への用心ばかりでなく、攻撃の持続を許さぬ田辺の体力の限界を物語っていた。

睨み合いが、またも続くかと思われた。が、叡は嫌った。ともすればがくりと膝を着きそうになる身をこらえ、信に言った。最後に言って聞かせておきたかったのである。

「信、姉ちゃが死んでも、生きろ――」

「姉ちゃ、ひとりじゃ、つまんね」

叡にふっと笑みが浮かんでいた。そのまま姉妹は物も言わず、両翼から死力を揮って田辺に斬り込んだ。左右同時に捨て身の敵を受け、田辺の大きな目に、明らかに狼狽と恐怖の色が浮かんだ。叡の目に、案山子、と一瞬映ったのは、外れていまい。田辺は左からの信の突きを、はね斬りに叩き落そうとしたまでは非凡だが、硬く渋るような剣の振りは、信の刀を小手先で払っただけで、愚かにも右腕が不用意に残った、と叡には見えた。

叡は斬下げた。血がしぶいた。一刀もろ共、田辺の手首が落ちた。腰を屈め、慌てて草をまさぐる田辺が、自身の右手が付いたままの剣を握った時は、片膝ついて信が、無様に空いた脇に突き入れていた。身を反らし、両眼を剥いた田辺を、叡は袈裟斬りに斬って捨てた。何かを拝跪するように、田辺はゆっくりと上体を倒し、驚愕の顔のままついに草はらに突っ伏した。宿敵の絶命を見届けるよりも速く、止めの太刀が、田辺の背中へ二本、心臓に向って真っ直ぐに突き下ろされていた。

竹矢来にどよめきが湧いた。勝ったのか、と信の目が問うていた。叡は顎を引いた。血刀を手に、しばし息を静めていた二人だが、叡がふと気付いたように、小手を返し刀をその場に棒刺しにした。田辺の長脇差である。次いで腰から空ら鞘も脇差も抜いて、草の上に放擲した。信も自身の刀を地面に突き立てると、あとは叡と同様無腰となった。

「もう刀に用はなぐなった。な、姉ちゃ」

「うん、もう要らね。もう刀さ振り回す人間をやんなぐて良ぐなった」

言い交わすと、すでに青草を踏みつつ、決闘の原の半ばまでやってきた伝八郎のもとに馳せ寄った。

師匠は平伏しかけた姉妹を制し、「――傷は」とまず訊いた。「大事ございませぬ」と姉妹は声を揃えて言った。

二人共に無腰でいることを訝りつつも、伝八郎はそれからは溢れるように言った。

「どういう言葉で酬えば良いのか、思い浮かばぬ。辛苦に耐えてよくぞ本懐遂げた。いや、我が本心は良う生きてくれたという安堵でいっぱいじゃ。なにせい、お叡、お信よ、又無き姉妹にめぐり合うて、この伝八郎、言い尽くせぬほどに果報だ」

 三人の頭上に寛闊と広がる宮城野の空があった。足もとの草は蘇生の息吹にそよいでいた。やがて、伝八郎はふたりの手負いを傷ましそうに眺め、

「手当ての医者は控えておる。が、いま少し、我慢せよ。殿からお言葉がある」

師匠に導かれ、叡と信は太守の御前近くに額ずいた。叡のあらわな肩に気付いて、伝八郎は羽織を脱いで着せ掛けようとした。が、

「傷に当たろう、苦しゅうない。そのままもそっと近こう」

 と太守伊達吉村は手を上げ、さらに姉妹を差し招いた。太守は待ち兼ねたように床几から身を乗り出し、その長い顔を姉妹に向けた。

「お叡、お信、こんにちの趣、まことに天っ晴れである。剛強比類なし、孝心比ぶるなし、幼弧の志し堅固無双、陸奥守感服仕った」

 姉妹はひたすら白い元結を見せて、殿様の発する声を聴いていた。殿様の喉から迸るのは、高揚したやや興奮ぎみの高い声だった。殿様はせっかちに褒賞らしい話を持ち出した。

「ついては国中の誉れというべき其の方らの身柄、家中へ養女に賜り度く存ずる。姉叡は家老伊達安房方、妹信は中老大河内権九郎方に寄り武家の娘となる。どうだ、受けるか」

 叡も信も俯きつつ、傍らに控える伝八郎を窺い見た。その謙退を吉村は遮った。

「構わぬ、直答許す。面を上げて申すがよい」

 叡が、顔を上げた。死生を賭けたあとの虚脱した顔は、血の気こそ後退していたが、

「養女の儀、堅くご辞退申しあげたく存じまする」

 と、ひたと藩主を見上げ言上した。

「はて、大望果たした上は、茶よ、華よと、娘らしい暮らしを愉しめば良いが」

 吉村は怒りもせず、むしろ不思議なものでも眺めるように叡にいった。

「なぜか」

「在所に戻って、妹と田を耕しとうございます」

「田を。ほう、武家より百姓が良いと申すか。――」

「はい。武家に装うても、百姓の血が流れております」

鋭敏な殿様である。決然とした叡の表情に、すべてを見て取った。

「さればこうか。こたびの仇討ち、百姓四郎左衛門娘どもが、無礼討ちなる武家の無法に物申し候趣、――余が、斯様に受け取れば満足であるか」

「…………」

「遠慮のう、申すが良いぞ。存念はどうあれ、気節を枉げずに遂げた本懐。赤穂の浪人ども以来の快挙ではないか。余は察するぞ、田辺なる怨敵は、まことは百姓に仇名す武家の無法。左様にちがいあるまい、お叡」

「懼れながら申し上げます。百姓四郎左衛門が娘、叡と信、横道なる侍ばらへの遺恨、このたびようやく晴らし奉って候。――」

 はっと、伝八郎がこうべを上げかけた。が、吉村は名君の名に恥じなかった。

「よう言うた。何を兎角に構い立てすることやあろう。いまに悟った、百姓の真の願いをな。代官、在郷領主どもの非道には今後一層目をひからせようぞ。のう村休」

 吉村は隣にいる国家老片倉小十郎村休を顧みた。

「御意」

 国家老は一揖した。森厳な面容の下で、村休は、家臣田辺志摩を不面目に失い、この際、自家の家老堀田頼母をも処分せねば、自身の面目は立つまいと考えていた。

「お叡、お信、在所に帰っても、時々は伝八郎を訪ねてやれ。仙台に居る父と思うてな」

 藩主吉村の、百姓に戻る姉妹への、せめてもの餞けの言葉であった。

 

数日後、傷も癒えて叡と信は、瀧本屋敷をあとに、足立村に帰って行った。

元の茅屋で、再び姉妹寄り添い百姓の暮しを始めた。高十二石の水田が二人の新たな拠り所となった。その姉妹のもとへ、しばらくは近郷、近在、また遠国からも人が押しかけた。草莽の農民姉妹の仇討ちは、一世の快事として国中を駆け巡り、芝居話のように江戸にまで伝搬したのである。だが、叡も信もその本懐譚の一切を語らず、訪客を失望させた。

やがて物見高い衆人の足も、ふっつりと絶えた。

だが姉妹肩を並べ、早朝から夕暮れまで、田に浸かり、土を掻く姿ばかりは変わらない。

その後、姉妹はともに、亡き与右衛門の縁続きの者に嫁したというが、どこでどんな暮しを送ったか、仙台城下にさえその消息は聞こえてこなかった。もはやその頃は、姉妹の暮し向きは、村の人別帳に跡を止めるだけの、ごく平穏なものとなっていたのであろう。

                                   (了)