読む古典落語 京の茶漬け
あらすじ
勧めようとも供しはしない、世に云う「京の茶漬け」なるもの。
これを「わいがいっぺん食うてみたる」と、大坂野郎が片意地になって京へと乗り込む。
出迎えた知人の妻女とくだんの野郎、世間話などして、互いを探り合う。やがて話題は食べ物に。
「腹が減ってしまいましたな、どこぞ此のあたりに出前でも出来る店は」と狙い定めてさりげなく。
妻女「そんな気の利いた店は」と煙に巻く。
なら、と腰を浮かして帰る素振りの男。そのあっさり演技につい乗って、「まぁ、なにもおへんけど、お茶漬けなと」とやってしまう。
してやったりと男は、座り直す。
さて京の妻女、
(ほんに察しの悪い、贅六はんはあくが強い)
と内心舌打ちしても、もはや引っ込みつかぬこの事態。
やむを得ず、飯櫃に残ったわずかなめしをすくい、茶漬けにして、漬物とともに客に。
大坂野郎は大満足の態で、茶を宇治の産、漬物はさすがの本場、と誉めそやす。
男はさらに調子づき、
「もう一杯、よばれてもよろしいか」と相手を震え上がらせる。
が、妻女も奸智に長けた京女。差し出された茶碗を公然黙殺。
男は引っ込みつかず、手にする茶碗を持ち上げて、
「さすが京でおすな、これはやっぱり清水焼で? ずいぶんと結構な品。わてぇも大坂土産に手に入れたい、どこらで買えまっか」と不得要領ながらのつじつま合わせ。
すると京の妻女、いまや破れかぶれになって、なけなしの知恵を揮う――。
さてそのオチまで、ゆるりとお読みくださりまするよう、伏して御願い奉ります。
さて、それでは帰りましょう、と、客が腰を上げ、さらに玄関に向かう、まさにそのとき、
「あんまり愛想のない、よかったらお茶漬けなと……」と心残りに語尾を濁して勧めるのが、京の茶漬け。
斯くいわれて、なら、と体を変じて、応じてしまうような客は滅多にいない。場所が京都であってみれば、なおさらである。
対人関係、あるいは儀礼上の、呼吸なのである。主客互いに玄関まで進んだ、という状況が大事で、居間でこれをやると実際に供し供されるという次第になり、単なる儀礼に終わらない。
されば儀礼とはそもそも……。
かたち、であります。中味でなく外形。こころよりかたち。かたちによる人間関係の結び方であります。心中、退屈な授業と思っていても、前を向いて、目を注いでいれば、先生は満足なさるのです。逆に、一生懸命学び取るには「私は机の上に足を乗せて、後ろ手に頭を支えて聴くスタイルが一番」と、それをやれば、先生は「お前、舐めんなよ」となる。
ことほど左様に、かたちは有用。有体に云えば、儀礼とは、相手を見くだして、ちょっと喜ばせてやろうか、とくすぐる行為であります。「フフフ」と笑えれば充分な程度のこのくすぐりを、「ワハハ」と心底よろこばせてくれぬと気が済まぬ、と過大な期待をすれば、たちまち相手は、不誠実、はたまた人間の皮を被った狸か狐、と断ずるような情勢になる。
相手にこころからの満足を覚えたいというのは、人情として肯えても、現実の世の中では、却ってわずらわしい。他人がみな親友であるべきと思うようなもの。世の中のみなが親友になってしまえば、交際費だけで手いっぱいになる。生まれた途端に破産です。
ここでひとは考えなければなりません。生きるということ、自立ということであります。何とか破産を免れて、世の荒波を渡って行くには、どうすればいいか。「ふふふ」と他人をくすぐり、相手を和らぎの世界に誘う。そうすれば、金銭を出すまでもなく、「ああ此奴か」と相手に憎くも無く思われて、それが自身の持ち駒となり、この駒をいつでも利用できる状態が生まれる。
この状態を作るのが「儀礼」であるのはいうまでもありません。ひるがえって、儀礼が無ければどうなるかを考えてみると、それは、
「おはよう、こんばんは」の挨拶もない世の中であります。また譬えれば、前戯もなしに、いきなり交接するようなものであります。
さて今回の噺、大阪人による京都人へのしっぺ返しの次第、という筋立てでありまするが、とかく大阪人というのは、事を急ぎ過ぎの、前戯不足の、ざっかけないひとびとという、皮肉が描かれます。
しかしながら、儀礼があるじであるかのような京の尺度も、またいかに滑稽か、このお噺は、京都も京都なら、大阪も大阪というどっちもどっちという状景であります。
余談ながら、四国は「高松の熱燗」という巷説もあるゆえに、日本全国おあいこさまでもあります。
「ご免よ」
「ああ、お珍しい。ごぶさたしております。どうぞこちらへ」
「いえなに、きょうはこちらの大将に是非ともお目にかかりたいと、こう」
「まぁ、あいにくどした。きょうは朝から、のっぴきならん、ほどのことでもないけのですけれど、ちょっと用足しに」
「さいでやすか、何時頃にお帰りだすやろうか」
「いつもの伝で、四,五軒も廻ってくるのか。思わん時分に、早うに帰って来ることもあるのどすが。それでもどうかすると日の暮れ頃になってしもうたりも」
「さよか、折角大阪から出て来たんやが、奥さん、悪いが、ちょっと待たせてもうろたら、あきまへんかいな」
「ええ、ええ、どうぞ、どうそ。むさくるしい所どすが、どうぞ」
と、この家の女房は愛想良く客を招じて、座布団を勧める。
「いやどうも、もう構わんでおくれやっしゃ」
女房は笑顔でうなずく。
「いえな、この前、こちらの大将、あての家にお越しになって」
「その節は大層ご馳走になりましたそうで、済まんことでおました」
「なにを仰いますやら、ご馳走やなんて、滅相もない。前もって判っていりゃ、何なと用意も出来たんだすけどな、急なお越しで、こちゃ何のおもてなしも出来ずじまいでおしたわ」
そのときの状景を、大阪の客人はアク強くも語り出す。
――ほて、なんぞないかと、台所を覗くと、丁度魚屋が鯛を一枚持って来たのがおました。
見れば、目の下一尺もあろうかという鯛。
よし、これなら愛想になる、これをお出ししよう、と。
「いえもう手料理で。いや、なに、あてぇ、昔、極道であちこち顔出ししてまして、包丁握ってたこともおますのや」
あたいらのやるこっちゃ、いきのええ魚目の前にしても、引きちぎったような切り身しか出せませんが。そんなんを大将にお出ししましてな、わさびの山盛りとしょう油のぶっかけで――。
「あんなことで良かったんかいナと今思い出しても顔が赤うなる」
「いえなにを仰いますやら、久しぶりに舌の幸福に預かった、とゆうて、えらいよろこびようどした」
それなら良かったというかおつきながら、大阪からの客は、
(茶も出さンなこの家は)
と内心不貞腐れ。
そのいまいましさに、おっ被せでさらに過日の事を、
「いえいな、酒だけは灘の蔵出しがおまして、それを云うたら、こちらの大将、ほうそうどすか、なら湯呑でも結構、早速、と思し召しで」
と、大阪の客、じろり、相手に上目遣い。
「そうどすか」
「仰山呑んでくれはりましてな」
大阪男はさらに言葉数を踏む。
「鯛の刺身に、灘の酒、そんなところで堪忍してもらいました」
といよいよアクが強い。
「堪忍やなんて。うちではそないな結構なん、なかなか口に出来ませんのどすえ」
「いえいえ、お宅の大将、外ではなかなか、おごり口だすわ」
と大阪の客。
「で、おかみさん、きょうはお目に掛かったら、ものの数分で片付くような、ほん、ちょっとした用件でおますが、これはやっぱり直に大将にお目にかかって、相対に話をせんことには、ちょっと埒の明かんようなこって」
と腹に含んだ狙いはひた隠しに、それとなく、大阪の客は相手の出方を探る。
「はいな、あのとき、きょうの用件を繰り出していたら、こんな造作も要らんことでおしたが。あのときは鯛の刺身と、灘の酒に掛かってましんでな」
と頭を掻き、搔き、恐縮の態で、またじろり。
「まぁ割合と鯛が新しかったンだけが何とか愛想やったかな、と。ほんで、まぁ、肝心の用件を忘れるやなんて」
と、また頭を掻いて、じろり。
「ときに大将、どちらへお出かけでおましたかいな」
「さぁ、それがいったいどこに行ったのやら」
「さいだすか、何時ごろでっしゃろか、お帰りは」
「さいどすな、お昼前時分かいな、と思いますのどすが」
「はぁー、お昼な。そうでっか、わても最前から、腹具合で、もうそんな時分どきやないかいな、と思うたりなんか……へぇ」
と仄めかして、大阪の客、いよいよ本腰を入れる。
「けさ、七時に家を出ましてな、二軒ばかり用足しで回って、ほて、こちらさんが三軒目になってまんね」
といいながら、
「さいでやすか、昼、ですかいな」と昼に力を込めること、込めること。さらに、
「さいでやすか、昼!でっか」
と重ねたが、おかみさんのうっすら笑顔を浮かべながらの相槌に、
(こたえンな、こら)
大阪男は忸怩たる思い。
「あの、ここらあたりで、なんぞ出前でも取れる店はおまへんかいな」
「この辺は、便利の悪いところどして、なんにもあらしません。へえ新京極のあたりまでお行きやしたら、結構なお店がたんとおすが」「新京極というたら、何でも揃うてる場所やとは聞いてますが、ここから近いンでっか」
「だいぶ遠い」
(あかんで、こら)
大阪男はあやうく匙を投げかけた。
ついに腰を上げて、云う。
「えらい、まぁお邪魔いたしました。時分どきにこないして、座り込んで、ほんまご面倒さんなこってござりました。いや実は、こちらさんに寄せてもろうた事ついでに、1軒、2軒寄って参じたいとこがおますね。大将お帰りになったら、わてが会いたがってたということだけ、伝えておくん,、、、、、、いや、帰りにまた寄らせてもらうかもしれまへんが、どうぞよろしゅうお伝えを」
「まぁ折角お越しいただいて、あるじが留守でお愛想もございまへなんだ」
とおかみさん、そして大阪の客が背中を見せると、
「まぁ折角どす、何にもございませんが、一寸お茶漬けなと」
と、つい洩らしました。
一方の大阪男。
(しめた!)
と小躍りして、
「そうでっか、ほんなら、えらいすまんこってすが」
と背中を返して座り直した。
見れば、おかみさん、しまった、という気配も濃厚に、片頬をぎこちなく歪めながらうなずいて、台所に行った。
さてどちらの家庭にも、炊飯の段取りというものがある。
当時は現在のように即席便利な食品のたぐいがあるわけでなし。
台所に入ったおかみさん、いつもはお櫃の底に、少々のめしが残る
ものの、今日に限って、亭主が何度も飯のお代わりをして、のこりはほんの雀のなみだ。
おかみさん、おのれひとりのことゆえ、昼はこれで辛抱の虫養い、と思い定めた上は晩の仕度は小早く、と手はずを決めていた矢先に、不意の珍客が飛び込ん来て、どかりと座り込んだ。
しょうがない、お櫃を引き寄せ、ふたを開けてみると、底に申し訳程度にのこるめし。
(足りるかいな)
とお櫃のふちにくっついためしをこそぎ落とし、へらに付いたのも茶碗のふちを当ててこすり落とし、ようようのこと一膳拵えた。そこにたっぷりと茶をそそぎ、漬物に箸。そして玄関かまちへと。
「ほんに、お恥ずかしいことでございますが、どうぞお口汚しに」
「ほんまにご造作をおかけしまして、こちらでぶぶ漬けまで招ばれさしてもらうてなこと」
くどく云いつつ、
「ここはお言葉に甘えて」
と大阪の客人は茶碗を持ち上げ、
(ほんまの茶漬けやで、これは)
と鏝で塗りたくったような茶碗のなかをながめ、
(ひやめしでもええさかい、一膳別に付けたらどないやね)
とさんざ胸でぼやいて、
「いただきます」
「へえ、どうぞ」
大阪の客、一口すすり、
「お茶がよろしいな、やっぱりご当地は宇治に近いさかい、常からこんな上等のお茶を使うてなさる、うちらはあきまへん、ほんま、常は赤黒い、茶ぁやら煎じ薬やら判らんようなおかしなモンをすすって、やっぱり香りが違う。お、これはすぐき。わてこれ好きだんね。大阪でも売ってま、しかしな、なんとなく味が違う。うまい。すぐき、たらちゅうもんは、酸い味がしたら好えように思いまっしゃろが、そんなものやおまへん。やっぱりな香の物ちゅうぐらいやさかい」
ぐちゃぐちゃ、むしゃむしゃ、と音立てながら、あれこれ講釈を吐いて食べ続ける大阪の客。
「ご当地はすぐきだけやない、千枚漬け、芝漬け、あれさ、お漬物は京都に限りまんな、(むしゃむしゃ、ずずず)こんなうまい漬物があったら、おかずもなにも要りまへんな(ずずず)」
すすりつつ、大阪の客は、おかみさんがあらぬ方を見ているのが気に入らない。
(あっちばっかり向いてくさる、こっちゃ向け)
と。
「もうしこのお茶碗ときたら、何とも言えまへんな。糸底のなんと面白い恰好。こんなん大阪へ土産に買うて戻りたい。このお茶碗、どこでお需めで」
と、空の茶碗を突きつけた。
おかみさん、めしのお代わりがないとて、もう逃げては居られない。負けぬ気で、急いで台所に入っては取って返し、ぜいぜい息を吐きながら、お櫃のふたを取って大阪の客に突き出した。
「このお櫃と一緒に、そこの荒もん屋で買いました。――」
(了)