暮 鐘

               

       

 

ひかりの輪が映るかまぼこ型の白い天井。季節はずれの強い日ざしが、枠のゆがんだ大教室のガラス窓を射る。

ところどころ窓は開いていたが、風はなく、古めかしいゴシック様式の室内に気だるい惰気(だき)が湧く。

円形の大教室に、記者らしい人影といえば、東日新聞社の紀子以外には、他日企業の記者発表会場で出会った地元紙京立新聞の記者ひとり、机上の新聞名から専門紙と(おぼ)しき男女の組、風貌から何となく専門誌の編集者らしき男性ひとり。それに出入り業者の交際(つきあい)上呼ばれたのか、紺の背広にネクタイの会社員風の男たち三人。発表者の教え子であろう男女の学生八人は、単位が取れると話題にしていた。

国立山城大学医学部友田誠一生理学研究室による脳機能に関する記者発表。

会場は大きすぎたようだ。在京の新聞、テレビ、ラジオなど、記者クラブ所属の一般メディアがこぞって取り上げるほど世間的な話題ではない。

ではあったが、紀子は大学記者クラブへのニュースリリースの投げ込み以外に、直接支局にそれが郵送されてきたことに、発表者の並々ならぬ野心を感じ、きょうの記者発表に臨んだ。また、帰り新参の自身が、大学のまちでもある京都の学術都市としての土壌を、あらためて感じておきたいという理由もあった。

京立新聞の記者が、教壇を見おろしながら、生あくびを噛み殺していた。

発表の予定時間を半時間あまりも遅れていた。

サルの準備に手間取っているらしい、というのがやはり手持無沙汰に座る会社員連のあいだから聞こえてきた消息であった。実験用のサルが(むずが)ってでもいるのであろうか。

急に講壇の背後がざわついた。

しも手のドアを押して、白衣の四人が現われた。一人がサルの乗る拘束器具を押していた。サルは頭の天辺から金属の筒を突き出していた。

記者席の幾人かがカメラを構え、シャッター音を立てた。紀子も連続してシャッターを切った。

頸部と胴を乳白色の樹脂板に挟まれたサルは、手足も革ベルトで支柱に縛り付けられて、全身強固に固定されている。身動きできないサルの頭からは、大きなボルトを捻じ込んだような、金属の筒が突き出している。微動も許されない拘束下、サルは小さな顔を記者席に向けている。一見虚ろなその表情は、人間ならば、すべてを諦めた果ての無念無想といった状態に見て取れた。紀子は反射的にシャッターを押したが、カメラを置くと、サルに対する一抹の後ろ暗さがよぎった。

白衣の研究員らはサルの傍らに立つ一人を除いて、計測装置やモニター、カメラなど、それぞれが受持つ位置に着いた。

やがて五十代を迎えたばかりという年恰好の教授友田誠一が、白衣の裾をひるがえして登壇した。黒縁の眼鏡をかけて、鼻筋の通った理知的な容貌はエリート然として、颯爽としたその登場ぶりには自己顕示欲が臭う。

発表内容のおよそは、あらかじめニュースリリースで取材側に知らされている。配布された資料のそのタイトルは、学術記述らしく長たらしい。

『扁桃体ニューロン発火による情動解析のイメージング化および表情出現の照合解析』であり、さらにサブタイトルが付いて、―情動発現のホルモン分泌を捉えた電気生理学的表現―とある。

紀子の新聞も地元紙も同様であろうが、これでは一般紙の紙面を割くには硬過ぎ、学問的過ぎた。臨床的応用が目前で、たとえば昨今云われるような自閉症と扁桃体との関係性が細胞学的に解明されて、根本的予防や治療に光が見えた、というほどなら一般紙が取り上げるニュース性アリ、ということにもなろう。だが、今回のように基礎科学的な、解析手法の開発という、およそ一般には直接関係のない、いわば地味な研究内容を、いかに興味ある一般紙の記事にするかは、日刊紙の記者としてはそれなりの視点を探らねばならないだろう。

「記者のみなさん、おサルさんに見物されているご感想はいかがですか」

友田教授がマイクを通して語りかけた。諧謔味を添えている。

本人にすれば、きょうの集まり具合の低調は心外であったろうが、エリート然と、その色は毛ほども見せない。友田は続ける。

「わたしより先にサル君に登壇願いましたが、みなさんの中には頭に変なものを着けられているかれ、――ええ、かれは三歳のオスで、アカゲザルという種類ですが、人で言えば十五歳ぐらい、ま、思春期の若さですが――そのかれを見て、頭に埋めた筒を痛々しく感じている方もいらっしゃるかもしれません」

友田はひと息置いて、記者席を見渡した。

「ですがご安心ください、この筒を経路に、脳内深く電極が埋め込まれていますが、もとより脳には痛みの受容器がありませんので、サル君、全く痛みは感じて居りません」

紀子はぶよぶよと白子のようにつかみどころのない脳のかたちを思い浮かべて、

(――そうなのか)

と思ったが、脳の痛みはないにしても、首と胴、手足を固定されて微動も許されないサルの、拘束の辛さの方はどうなのかと気になった。

友田は解説を続ける。

「ご覧のように、わたしのうしろに二つのスクリーンがあります。右側はサル君に埋めた電極からの情報を映し、左側はサル君の表情を大写しにします」

 脳内の反応と、それに対応して表出される実際の表情とを同時に見せようというのである。

およそ一〇分間、長くはあったが、教授は無駄な修飾なしに発表内容を概説した。

大脳辺縁系のひとつである扁桃体の反応が、右側のスクリーンに表われる映像である。喜怒哀楽の情動を表出する中枢といわれる扁桃体を通じて、情動を視覚化するのである。

「自閉症をはじめとする精神疾患治療の手がかりとするべく、生物学的に解析するのが研究の目的です」

友田は眼鏡のフレームの端を少し持ち上げて、云った。

解析の手法は、扁桃体に埋め込んだ電極によって、ニューロンの発火、要するに神経活動により発生するインパルス放電、すなわち活動電位を捉えるという方法である。そして時間変化するその状態を視覚化するために、オシログラフで時系列の電位差を二次元グラフとして計測画面に表示し、それを再加工した上で、スクリーンに再現する。

(それなら脳波計と同じでは)

 紀子は(いぶか)しんだ。

 在り来りのそんなものを発表したところで研究成果とは言えない、と思ったのだ。

紀子はあらためて手元の資料を読み返した。『……スクリーン上に、扁桃体が発する恐れと不安の信号を、電圧レベルでストレスホルモンに反応する色素(・・)によって再現し、これにより情動発現の過程を、エモーショナル(・・・・・・・)()動き(・・)として視覚化する』とあり、刮目すべき要素はここだとばかり、わざわざ傍点が振ってある。

少し考えて、紀子はようやく今回の発表内容が呑み込めた。

友田の説明が澱みなく、何げなく聞き流してしまっていたが、解説の最後「再加工した映像」と友田は云った、その再加工こそが今回の発表の眼目であるらしい。続く解説で、それが裏打ちされた。

「扁桃体にある種の刺激を与えると、ノルアドレナリンとコルチゾールの分泌が促されます。これらのストレスホルモンの濃度が高まると、生体に、すくみ、おののき、といった恐怖行為が表出しますが、この二種類のホルモンの濃度変化を高閾値から順に赤、青、緑の色変化で示すことによって、高まり、あるいは興奮という、動的文脈と一体であるところの感情、――自然科学で云う情動を、右の色素変化と同時に実際の表情とを対比することで、まさにエモーショナルに再現します。そういう視覚化の手法を開発した、これは人類が人間的感性で、より生体の真実に迫る手法と云って良いといえます」

 友田は自信にあふれた口元を閉じて、暫時、記者席を見まわした。

紀子は、このあと「実際の表情」という、友田の流れるような解説のなかで言及されたその部分を目の当たりにして、非常な衝撃に打ちのめされることは予想もしなかった。

「前置きは以上です。これからはみなさんがご自分のその目で捉えてください。これより視覚によるオーケストラをご覧にいれます。」

 

                   4

 

山麓の墓地に、じりじりと太陽が照りつけている。

春江は老人を前に、金縛り同然にその場に立ち尽くしている。開いたままの日傘をだらりと提げて、取り落とした水桶が、足もとで転がっていた。

「うちのお父うはんは、満州で死にはった。お母あはんとそないに云うて…………。」

 (かす)れごえでやっと云った。

まともに聴いているのかどうか、老人は何も始まっていないような、茫漠とした表情(かお)を向けている。

「あんさん、ほんまか、ほんまにあんた奥嶋(おくしま)康蔵(やすぞう)か」

 とらえどころのない老人に目を張り付けて、春江は相手の肩を揺さぶるような語気でただした。

「ほんまやで、わし、奥嶋康蔵や、お前の父親や。医専出の内科医やったが、軍医になって満州に行ったやろ」

 春江を骨身から力が抜けていくような、へなへなとその場に崩折れそうな気分になった。

「生きていたなら、なんで」

まだ信じられないが、手探りするように、家族になぜその事実を報せなかったのか、と力なくつぶやいた。

(生きてはったンなら、そうやろ)

春江は胸で同じ繰りごとをつぶやく。

老人はうっそりと立っている。そんな相手に、春江の無念は、徐々に憤りとなって、拒絶せずにはいられなくなった。

「終戦から何年経ったと思うてはるのや。今頃になって父親やなんて、途方もない話しやと思いなはらんか」

「やっとの思いで、日本に帰って来れたンや」

それが三十八年間の不在の言い訳のすべてであるように、康蔵はぽつりと云って、それ以上はプツリと糸が切れたように語らない。

(あんまり身勝手やないか、理由があるならあるで)

春江は相手の胸ぐらをつかんで問い質したかった。もっと弁解を聞いて、混乱しきった心の整理を着けたかったし、それがどんなに理不尽な言い訳であっても、本当に肉親ならば、理解を求めて懸命に訴えるのではないかと足掻(あが)くように思い、苛々(いらいら)と相手を(にら)みつけていた。

春江の焦燥が感受できたのか、もそもそと老人の口が動きはじめた。

「わしな、この近所の法泉寺で寺男やっとるね。ここら鳥辺山の墓掃除も役目でな。ここで奥嶋の墓見つけたときに、ああ昌江は死んだかと初めて知った」

「そうですか」

黄色っぽい白髪あたまを振っての近況説明に、春江は返す言葉もなかった。

「そうや、そやが京都は戦前とそない変わらんな」

自身の不在の三十八年間、戦後の荒波をくぐった妻子のくらしがどんなものだったか、目の前の老人は、思い致すことはできないのだろうか。

 老人は口を半ば開けて、春江の厳しい視線をおとなしく受けている。老人の背後の墓石の群れが、日に炒られている。

春江の目には、薄汚れた老人のすがたと共に、遠い歳月が古びたセピア色を帯びて映じていた。

どこからかカラスの羽ばたきと鳴きごえが起こった。

はッと我に返ると、セピア色の過去が、どす黒い苦渋となって逆流した。

春江はいかりが爆発した。

「あんたお父うはんなんかと違う、うちのお父うはんはあんたみたいな人と違う。あんた、アカの他人や」

 春江は云い放ち、老人に背を向けて憤然と歩きだした。

炎天下、老人はしょんぼりと春江の背中を見送っていた。

 (Bにつづく)